心をこめて。












 心を込めて。










「のぅ、姫さん」



「だから姫さん言うな」



 こんなやり取りを、私は一日に何十回もする。

 そうやって呼ぶな、と言っても何度も何度も言ってくる。
 だから、何度も何度も「言うな」と言葉を返す。

 私に言ってくるのは、仁王雅治。
 テニス部のレギュラーで結構有名人らしい。

 らしい、と言うのは、私自身がテニス部には全くと言って良いほどに興味がないからだ。
 周りの友達たちはキャーキャー言っているけど、言う理由が分からない。

 格好いいから?

 悪いけど、見た目だけでキャーキャー言うのっておかしいと私は思ってる。



 今の話からすると、私と仁王の接点なんて何にもない。
 本当にそれまでは接点所か顔を合わすこともなかったんだ。



 接点が生まれたのは、ある雨が降り出した日のこと。






「あ、雨だ……」



 ぽつぽつと降り出した雨に、とうとう降ってきちゃったよ、と私は小さくため息をついた。
 お昼頃から雲行きが怪しくなってきてはいたが、とうとう雨が降り出してしまった。

 今日は傘を持ってきてなかった。

 だから、この雨の中を歩いていくしかないのだ。
 濡れてしまうけど、傘を忘れてしまった私が悪いのだ。

 よしっ、と気合を入れてから、私は雨の中を走り出した。
 雨に濡れるのは別に嫌いじゃなかった。

 そして、ちょうど公園に差し掛かった時。



「ミー」



 不意に、何かの声が聞こえた。
 思わず立ち止まって、その声の主を探してみる。

 すると、すぐに声の主は見つかった。
 木の下にある、小さな箱の中から。

 ひょい、と箱の中を覗き込んで、その姿を確認する。

「やっぱり……」

 そこには、小さな一匹の猫が居た。

「……お前、捨てられたのかい……?」

 答えはないと分かっていても、私はそうやって聞いた。
 雨が降っているのを分かっているのに立ち止まって、箱を覗き込んでいた。

 そうして、縋るような目で見られて、私は負けた。

 ひょい、とその小さな体を抱き上げた。

 運良く体はあまり濡れていなかった。
 それに比べて、私の体は雨にびっしょりと濡れている。
 このままじゃ抱きしめられない。もし抱きしめたら、猫まで濡れさせてしまうから。

 抱きしめたい衝動を必死に堪えて、私は猫を見ていた。

「うち、来るかい?」

「ミー」

 そう尋ねれば、小さく猫は口を開けて鳴いた。
 まるで私の質問に答えてくれたようだ。

 私は笑った。

「じゃあ、うちに来よっか」

 そう言えば、すり、と頭を寄せてきてくれる。

 その可愛らしい動作に私は思わず猫を、ぎゅうっ、と抱きしめてしまった。
 猫が濡れてしまうことも忘れて。

「……っ……、可愛いっ!」

 ぎゅう、と抱きしめてもあまり抵抗しない。
 それどころか、すり、とさらに体を寄せてきてくれる。

 可愛い。
 可愛すぎる。

「お前、名前はなんて言うんだい?」

「ミー」

「よし。じゃあ、ミーに決定。よろしくね、ミー」

「ミー」

 鳴き声だったけど、ソレをこの子猫の名前にしようと思った。
 ミー、と呼べば嬉しそうに鳴いてくれる。

 可愛いよ、本当に。



「おかしな子じゃねぇ」



 不意に、第三者の声が聞こえた。

 猫をぎゅっと胸に押し付けるように抱いて、私は辺りを見回した。

 そういえば、最近この辺りに変質者がよく出るという噂があった気がした。
 と思えば、すぐそこに「痴漢注意」の看板が。

「どこ見とんじゃ」

 不意に上から声が聞こえて、私はゆっくりと上を見上げた。
 木の太い枝。

 そこには、一人の少年が居た。

「――ち、痴漢っ!?」

 思わず間を置いて、構えるだけ構えてみる。
 もちろん、私は武術なんて全く出来ない。

「誰が痴漢じゃ、誰が」

 少年はそう悪態づいて、ひょい、と軽い動作で木の枝から飛び降りた。
 全く体重を感じさせない、鮮やかな動作だった。

「全く。猫とおかしな会話しよるし、イキナリ人を痴漢呼ばわりとはなんじゃ」

 ……どこの言葉喋ってるんですか?

「……って、お前、人の話聞いてんのか?」

「は、はいっ?」

 思わず、声が裏返ってしまった。
 おかしな声に、少年はクツクツと笑った。

 その笑い声がとても奇妙に思えるのは、どうしてだろうか。

「お前、立海の生徒じゃな」

「えっ、なんで分かるんだ!?」

「……立海の制服着てるだろーが」

「……あ、そっか……」

 指摘されて、やっと分かった。
 今は学校帰りだから、当然学校の制服を着ている。
 制服を見ればどこの学校かなんて、簡単に分かってしまう。

「……あ。そういう痴漢も立海の生徒なんだねー」

 そうして、不意に目に入った少年の服も立海の制服だった。
 ということは、この少年も私と同じ立海の生徒、ということになる。

 痴漢が私と同じ立海の生徒。
 ちょっと嫌だなぁ、と思ってみた。

「だから、誰が痴漢だ、誰が。……ていうか、お前、俺のこと知らん?」

「全く知りません、私に痴漢の知り合いなんて一人も居ません!」

 というか、知り合いに居たら嫌だ。
 ただし、テニス部レギュラーにストーカー気味な友人なら数人居たりもするが、あれはまだ犯罪ではない……と信じたい。

「……だーかーら、どうして俺が痴漢なんかになるんじゃ?」

「だって、痴漢注意って書かれた看板がある所に、痴漢っぽく登場したから」

 それこそ、怪しく声をかけて木の上から登場したから。
 見るからに怪しいだろうに。

「登場って……」

 私の言葉が悪かったのか、少年は不思議そうに顔をしかめていた。

「……俺、たんに雨宿りしとっただけじゃ。だから、痴漢じゃねぇよ」

「あ、そうなんだ」

 少年の言うことも最もとだと思って、私はその少年の言葉に納得することにした。
 そういう少年の髪が少し濡れていたからだ。

 あながち、雨が降り出して急いで木の下へ入った、という所だろうか。
 そして、調子に乗って木に登ってみたオチとか。

「ミー」

 忘れないで、とでも言うようにミーが声をあげた。
 その声に、私はハッとした。

「あ、ごめんね。大丈夫、家帰ったらすぐにミルク出すからね」

「ミー」

「……お前、猫と会話出来んじゃな」

 私とミーのやり取りを少年は不思議そうに見ていた。
 そんなにおかしいことだろうか。

「会話出来るって言うか、なんとなく分かるだけだよ」

 そうやって私は返して、ミーを抱いて歩き出した。

「あれ?どこ行くんじゃ?」

「……家に帰るの。これ以上ここに居てもしょうがないから」

 それに、早く家に帰ってミーにミルクをあげないといけない。
 雨はまだ降っているけど、ココから私の家まではそう距離もないから。

「へぇ」

 少年は、ニヤリと笑った。
 やっぱり、その笑みがとても奇妙に思えるのは、どうしてだろうか。

 そんな少年を奇妙に思いながらも、私は雨の中を走り出した。
 もちろん、腕の中に居るミーを気を遣いながら。

 そして、私はそのまま家へと帰った。

 何事もなく、そのまま終わると私は思っていたのに。



「――よぅ、昨日の猫と話してた女」



「……きっ、昨日の痴漢っ……!?」



 そうして、次の日にまたその少年と出会ったのだ。
 友達に無理矢理連れて行かれたテニスコートの近くで。

 彼はテニス部のジャージを着て、最後に見たニヤリとした笑みを浮かべて居た。

「俺のこと、見に来てくれたんじゃな」

「ちっ、違う!断じて違うってば!だっ……」

 誰が好き好んで痴漢を見に来るか。

 そうやって、最後までは言わせてもらえなかった。
 ニヤリと笑った彼の顔が、とてつもなく冷たかったから。

 その続きを言えばなぜか自分の命が危なくなるような気がしました。
 思わず、言葉を失って私は固まった。



「猫、元気か?」



 不意に、雰囲気が柔らかくなって、彼はそう尋ねた。
 意外な質問にちょっと拍子抜けしながら、私は答える。

「……まぁ。よく食べるし……」

「お前、まだ猫と話してるんか?」

「……だから、別に話してる訳じゃないんだよ……」

「のぅ、俺と付き合わん?」

「……だから、別に……って、え?」

 思わず普通に返事しかけて、その言葉の意味に思わず私は固まった。
 今、この彼は私になんて言った?

「だから、俺と付き合いませんか、って聞いたんじゃ」

 どうやら、私の耳の聞き間違えではないらしい。
 先程と同じ言葉を彼は私に言った。

 私の聞き間違えじゃないとすると、残る可能性はひとつしかない。

「頭、大丈夫?」

「……本当に失礼なばかり言う奴じゃな」

「いっ、いや、だってさ、普通はそうやって思わないか?いきなりそんなこと言う変態、私は今始めて見たぞっ!?」

「誰が変態じゃ、誰が!」

 思わず言ってしまいました。
 変態、と。

 痴漢に変態。
 さすがに少し言い過ぎたかも知れない。
 だからせめて、変態を変人にしておいた方がよかったのかも知れないと後から悔やんでみる。

 少しだけ。

「お前、猫と話してたじゃろ?アレ、面白かったから」

「……いきなり何を言うんだ?」

 本当に頭がおかしくなったのか思ってしまいました。
 だって、いきなり意味不明なことを話し出すから。

「だから、付き合う理由じゃよ」

「……は?」

 面白かったから。
 だから、私と付き合う?



 待ってよ、それってちょっとおかしくないですか?



「ちょっと待った!それってちょっとおかしくないですかっ?ていうか、絶対におかしいっ!!」



 そうやって私は反論の声をあげた。
 おかしい、と反論する私を、彼は不思議そうな目で見ていた。

「なんで?」

「なんでって、そんな理由で付き合うなんて……」

 おかしい。
 と、私は思っている。

「ふーん。じゃあ、どんな理由なら良いんじゃ?」

「どんなって……、そりゃあさ、ちゃんとした理由じゃなきゃ駄目だろーが」

「ちゃんとした理由って言うなら、面白かったから、は理由にはならんか?」

「……まぁ、うん。私はならないと思うぞ」

 面白かったから、という理由で付き合ったらちょっと嫌だと私は思っている。
 だって、訳分からないから。

 そりゃあ、好き、とでも言われた方がまだロマンチックでしょ?
 そこまで極端な話じゃないけど。

「じゃあ、好き、とでも言っておくか」

「……じゃあ、ってなんだよ。じゃあ、って!」

 あきらかに、付けたされた言葉。
 それも、あきらかに心が何もこもっていない声音。



「俺はお前が好きだから付き合う。はい、これでいいじゃろ?」



 確かに、ちゃんとした理由じゃないと駄目、だと私は言った。
 だけど、こんなにも心がこもっていないのも駄目だと私は思うんだよ。



「だーめーだ!」

「ちっ……、で、なんで駄目なんだよ?」

 今、貴方は舌打ちをしましたよね……?
 それも、かなり不機嫌そうに。

「なんでって、そんなの心何にもこもってないじゃん!そんなの絶対駄目だよ!駄目!」

「……ふーん……」

 分かったのか分かってないのか。
 とりあえず、彼はそうやって頷くだけ頷いていた。

 なんでこんなことの言い合いになってしまったのか、自分でもよく分からなかった。
 とりあえず、遠巻きにみんなからコソコソ見られている視線がやけに痛い。

 思わず私は友達を置いて逃げ出しました。



 次の日。
 テニス部レギュラーの仁王が神谷に告白して振られた、というとんでもない情報が流れていた。



 もちろん、私はその情報を友達に「本当なのっ!?」と好奇心旺盛に聞かれるまで全く知らなかった。
 というかそれ以前に、「……仁王って誰?」と聞き返したぐらいだ。

 仁王雅治。

 それが、あの痴漢で変態……もとい、私に全く感情のこもっていない「好き」を言ってくれた少年の名前だったらしい。

 とりあえず。
 彼のおかげで、私まで無駄に有名になってしまいました。

 ……恨むよ、本当に。



 とりあえず、そんなことがあった。
 そして、その日から彼は……仁王は、私の元へとよく通うようになっていた。

「姫さん」

 と、いかにも痴漢と変態の仕返しだと言わんばかりの言葉と満面の笑みを持って。
 もちろん、そんなこと言われるなんて寒気がするから私は「言うな」と反論する。

 だけど、仁王は一向に止めない。
 私が何度も何度も言っても、全く止めない。むしろ、さらに「姫さん」と呼ぶ。

 君の仕返しは一体何倍返しなんですか……?

「のぅ、姫さん。いい加減に俺と付き合わん?」

「だから仁王の言葉は感情が全くこもってないから駄目!」

 一緒に居るようになったせいか、少しは仲良くはなった。
 仁王も、「姫さん」と呼ぶところと「付き合う」と言う意外は良い奴だと思える。

 あれから友達に色々聞いたりして、仁王が余程の有名人だということを初めて知った。
 テニス部で、レギュラーで、強くて。
 そして、格好いいらしくて女子は良く騒ぎ立てる。

 らしくて、というのは、私が全く興味ないからである。

 今の私はミーちゃんに一筋だから。
 もちろん、仁王も私が親馬鹿だということは知っているハズだ。

「じゃあ、感情込めたら良いんじゃな?」

「えっ……、あー、うん……」

 聞かれたことに戸惑って、思わず頷いてしまう。
 だって、仁王が感情を込めることなんて出来ないと思ったからだ。



「姫さん。俺と付き合わんか?」



 ……ごめんなさい。
 少し取り肌が立ちました。

「……うわ、気色悪い……」

 本当ならここで普通はときめいたりするだろうけど、私はそんなことはなかった。
 感情のこもっている仁王の言葉に鳥肌が立ってしまいました。

 似合わなさ過ぎて。

「わー、酷い言葉じゃなぁ。まぁ、でも、ちゃんと感情込めて言ったんじゃ。俺と付き合おうなー」

「誰もオーケーするなんて言ってないから」

 どこか楽しげな仁王の声に、冷や汗が流れるのはどうしてでしょうか?
 それよりも、少し身の危険を感じるのはなぜでしょうか?

「さっき、うん、て言ったじゃねぇか。約束したじゃろ?」

「あれはー、えーと……」

 良い言い訳の言葉が全く見つからない。
 たんにノリで頷いてしまったとしても、確かにそうやって約束してしまったのだから。

 約束を破るのは、しょうに合わないんだよね。
 あ、テニス部副部長さんの言葉を真似した訳じゃない、ってことだけは言っておくけど。

「……いいよ。じゃあ、付き合おう」

「じゃあ、ってなんじゃ。じゃあ、って」

「……仁王だって、最初に、じゃあ、って言ってたでしょーが」

 じゃあ、に不満があるらしい。
 けど最初に、じゃあ、って言い始めたのは仁王の方なのだ。

 私に罪はない……と思いたい。

「……まぁ、いいけど」

 数秒考えるようにしてから、仁王は何かに納得したらしく、そうやって頷いた。
 その言葉に、私はほっとした。

 なんて言うか、身の危険から回避出来た瞬間の安堵の気持ち、というべきか。



「これからよろしくな、



 仁王はニッコリと満面で笑う。

 その笑みに、再び身の危険を感じたのは言うまでもない。
 身の危険どころか、命の危険すら感じた。

 そういえば、友達が前に言っていた言葉を思い出した。
 仁王は詐欺師なんだよ、と。
 ……彼は痴漢でも変態でもなかったです。



 ただの詐欺師でした……。



 とりあえず、彼の詐欺にかかってしまった私はどうするべきなんでしょうか?
 ひとまず、命と身だけは守り通したいです。

 そういえば、その時に初めて名前を呼ばれたことに気づいたのは、付き合い始めてから大分経った頃だった。










 アリス様に捧ぐ。
 ということで、仁王夢。
 「……え、コレが仁王ですかっ?」というような内容になってしまいました……(大汗)
 というか、主人公の名前がほとんど出てこない……(大汗)。
---------------------------------------------------------------
すごく素敵なものをありがとうございました。
BLOODYの上条志摩様に
61700hitのキリリクで書いていただきました。
うわぁい。仁王だぁ((テンションやばいです。